歴史と文化 >> 伝統芸能
芦別獅子保存会(芦別市)
明治28年に富山県砺波(となみ)地方から、今の本町地区に入植した70余戸の先人達が、翌年、精神的団結を図るため神社を設置した。 現在の芦別神社である。この時、移民代表と神社氏子総代とが協力して郷里に伝わる「越中獅子」を再現しようと、 富山県城端町(じょうはなまち)瀬戸から、頭・かや・太鼓・鉦・衣装など一式を購入し、これを若連中に寄贈をして練習をはじめたのが 「芦別獅子」の起こり。初めて芦別神社に奉納されたのが明治33年、以降毎年秋の例大祭に奉納、昭和37年に芦別市の無形文化財に指定された。 最近では、平成14年に、芦別獅子の本家筋にあたる富山県城端町(じょうはなまち)西明(さいみょう)の西明獅子との競演が行われた。
住吉獅子舞(赤平市)
明治28年、現在の住吉地区に入植した加賀団体の開拓民が苦難の事業と生活を克服するために、神社の設立とともに、 古くから郷里に伝承されている越中獅子を再現しようと、明治41年に農業主の吉田民治と、支配人の川島吉次郎の2人が、 用具一式を住吉八幡神社に奉納されたことが始まり。全長7メートルで茶色に浪模様の入った木麻生地で作られ、獅子頭は赤塗りの桐材彫刻で、 頭とかやに5人入り、天狗は面をかぶり、太鼓、鐘、笛のお囃子にあわせて舞う。 昭和51年9月に富山県にルートの調査に赴き、氷見市内吉池のものであることが確認された。 昭和33年8月、獅子舞を保存するために「住吉獅子舞保存会」が発足、昭和46年8月、赤平市無形文化財第1号に指定された。 伝承者の高齢化で、長い間演じられていなかったが、平成11年度、赤平高等学校に作られた郷土史研究部の生徒が、 平成13年度から住吉獅子舞の保存に挑戦、保存会の指導を受け、母校の体育館などで練習に励み、平成14年 10月には、 全道高校文化連盟郷土研究大会で優秀賞を受賞している。
たきかわ車人形ひろみ座(滝川市)
江戸時代から伝わる車人形を北海道の風土にあった芸能として現代に復元し、新しい文化の風を起こそうと、 平成8年7月に車人形製作委員委員会として発足。平成10年7月、「最後のヤン衆~焼尻小野漁場の段~」が初公演、平成12年4月に、 「たきかわ車人形ひろみ座」と改称。人形製作から語り部、三味線、舞台づくりまで会社員、主婦、公務員らのメンバー12人が分担し演ずる。 市内をはじめ道内中心に学校・施設・イベント出演など公演活動を行っている。
街頭もちつき(砂川市)
明治32年、石狩川、空知川、雨竜川を中心とした木材流送による原木の集積地として栄えた頃、 その木場に出稼ぎにきていた徳島県吉野川の筏師たちが、故郷を偲びながら、まちを巡回して無償で正月のもちつきをしたのが始まり。 その後筏流しの元締であった前川亀蔵の出身地である徳島県美馬町脇町の「三味線もちつき」がルーツであることが判明。 この移動もちつきを砂川の風物詩として後生に伝えようと、昭和54年「砂川もちつき保存会」を設立、 今では毎年12月に市内数カ所で市民の無病息災を願う年の瀬の慣例行事として市民に親しまれている。
うたしない弥六太鼓(歌志内市)
うたしない弥六太鼓は、太鼓に興味のある人、盆踊り太鼓の経験者などが集まり、歌志内の新しい郷土芸能として、 昭和 62年6月にスタートした。「うたしない弥六太鼓」の名前の由来は、明治38年個人で中村炭鉱を開坑して、 地域発展の先駆けとなった「中村弥六」の偉業をたたえて命名。
奈井江町備中神楽(奈井江町)
昭和57年、岡山県成羽町(現 高梁市)と友好都市の調印をきっかけに「備中神楽」の伝承を受ける。
「備中神楽」は備中地方に古くから農民の原始信仰である荒神祭りの神事として行われたもので、現在奈井江町では、 「猿田彦の舞」と「大蛇退治」の伝承を受けている。
上砂川獅子神楽(金蔵獅子舞)(上砂川町)
大正7年に三井砂川鉱業が職場の無事故祈願に獅子神楽の導入が計画され、富山市南部より金蔵獅子雌・雄2頭を購入し、 それ以降山神社の例大祭には長屋街を練り歩き、祭典を盛り立てた。
その後、戦争勃発と共に獅子舞を披露することがなくなったが、獅子神楽復活の声が高まり、 昭和53年8月に「上砂川郷土芸能保存会」が設立し、新たに獅子頭2頭を静岡県より購入し、 町民有志により「上砂川神楽獅子舞」が再現され、現在も例大祭を中心に活動している。
いなずま太鼓(浦臼町)
昭和49年、鶴沼青年団が会員の増加を機に、団の事業として取り上げたのが始まり。 その後、鶴沼小学校児童の情操教育と郷土を愛する心の教育の一環として取り上げられ、浦臼町の郷土芸能として育てようとした機運が高まる中、 昭和56年1月、青年団も含めた「いなずま太鼓同好会」が校下父母有志で発足し新たにスタート。 現在は、「浦臼町いなずま太鼓保存会」に改称し、「うらうす夏の味覚まつり」をはじめ、町内外で数多くの演奏活動を続けている。
新十津川獅子神楽(新十津川町)
質実剛健の開拓精神を後世に伝えるため、明治41年富山県出身者が中心となって、富山県砺波郡利賀村獅子舞を玉置神社に奉納したのが始まり。 大正5年富山県高岡市からの移住者により「新派」(たわむれの舞)が伝わり、これまでの「純粋」(戦いの舞)と加えて伝統芸能の内容を高めている。
雨竜町獅子神楽(雨竜町)
明治40年、八幡神社建立の際、雨竜開拓のために移住した人々が奉納舞を行ったのが始まり。 富山県入善町小摺戸に伝わる越中獅子舞本家に、立山地方に伝わる異なった獅子舞なども混合している。 秋の雨竜神社祭の舞の奉納のほか町内外の催しものに出演。